このように考え備えている方が大多数だと思われます。
しかし2011年3月11日、東北地方を中心に戦後最悪の被害を出した東日本大震災。
被災地だけでなく首都圏にも大きな影響を与え、激震に加え度重なる余震の影響であらゆるインフラが麻痺し、多くの帰宅困難者が発生しました。

こと首都圏に限った場合、地震対策=水/食料だけではなく、『交通インフラの崩壊に備える徒歩帰宅を想定する、または社屋に留まる想定をする*1』、
通信インフラの崩壊に備える=>携帯電話網に頼らない通信手段の確保*2』、『電気インフラの崩壊に備える=>送電網を必要としない電源または電気機器を確保する*3』、
など、最優先事項は「身を守ること」に変わりはないですが、想定される被災状況に応じたバランスの良い対策と備えが必要になってきます。

*1 社屋に留まる想定をする = 製品カテゴリー[避難生活]
*2 携帯電話網に頼らない通信手段の確保 = PHS備蓄キット
*3 送電網を必要としない電気機器を確保 = LEDダイナモシリーズ
1995年に関西地方を中心に発生した阪神淡路大震災は、いまだ数多くの方の記憶に残っていると思います。
首都圏をはじめ全国の企業は阪神淡路大震災を1つの例として、この震災をきっかけに災害対策を見直す、またはしっかりと検討するきっかけとなった災害でした。

震災時に発生する様々な課題は、時間帯や季節、震源地などのさまざまな要因によって被害の内容が異なってきます。
阪神淡路大震災では、発生時刻が早朝であったため出勤中/出勤途上の被災者が少なく、帰宅困難者等はほとんど発生しませんでした。
そのため、水や食料品、寝具、防寒対策などの避難生活用品が中心となりました。
食料品は一時的に不足しましたが、この時に課題として浮き彫りになったのがトイレ問題でした。
その後、災害対策用トイレが改良を重ね充実した製品ラインナップが普及してきたことは言うまでもありません。

このように経験則から防災用品は拡充していきますが、当時帰宅困難者がほとんど発生しなかったために『帰宅困難者対策は不要』ということでは決してないはずですが、
フォーカスは避難生活対策にあてられた阪神淡路大震災後の災害対策であったのかもしれません。
実際には、『交通インフラは崩壊していたが発生時刻が早朝であったために帰宅困難者を多く出さずに済んだ』という結果論でしかない点が災害対策には重要な点なのです。
2011年3月11日、東北地方を中心に発生した東日本大震災。
戦後最悪の被害を出し、未曾有の大災害に見舞われました。

災害対策に積極的な企業においては、発災前にも近い将来発生する可能性が高いと想定されていた首都圏直下型地震が発生した場合の被害を想定し、
阪神淡路大震災の際には発生しなかった帰宅困難者対策も考えられていたのではないかと思われます。
東日本大震災発生。
帰宅困難者対策は想定通りの有効な対策だったでしょうか。
様々な形で一夜を過ごす帰宅困難者
学校や公民館などの帰宅困難者を受け入れる公共施設で過ごす人々
帰宅をあきらめ会社に留まる人
徒歩で帰宅しようと歩き出したものの、途中で疲れ果てその場に座り込み一夜を過ごす人
想定された対策に、東日本大震災を経て得た経験からさらに必要な対策を積み重ねることが重要です。
徒歩帰宅可能者の定義は一般的に、自宅までの帰宅距離が10km未満の場合には帰宅可能者と定義されています。

10km~20kmは、個人差が発生しますが1km増えるごとに10%ずつ帰宅可能者が減少すると言われています。
20km以上距離がある場合は、徒歩で帰宅することは困難と想定されています。
首都圏の通勤者の大半は帰宅距離20km以上に該当するのではないでしょうか。

東京都では、東日本大震災後に帰宅困難者対策のガイドラインとして、
『交通インフラが崩壊した場合、無理に帰宅せず3日間は会社に留まるべく対策を講じること』
というガイドラインを企業に向け発信しました。
これは、発災直後の帰路はさまざまな危険にさらされることに加え、歩行者が緊急車両の妨げになってしまうことを防ぐという側面もあります。
まずは、行政の判断に従うべきです。

では、3日間の待機後。
果たして交通インフラは復旧しているでしょうか。
また、水/食料の備えは底をついてないでしょうか。
発生する状況によって異なりますが、その答えは、実際に被災するまでわかりません。
また、そこまでは行政も保障できかねると思われます。
ガイドラインはあくまでもガイドラインであり、最終的には自分の身は自分で守り、企業は社員の身の安全を確保しなければなりません。

社屋待機解除後、家族の待つ自宅へ徒歩で帰宅することになった場合、どんな状況が待っているのでしょうか。
東日本大震災発生後、実際に徒歩で帰宅する事となった人たちの声をご紹介します。
荒川区在住 被災場所:勤務地=五反田 35歳 レスキューナウ営業社員
先日の地震で、実際に私自身も約20kmほどを6時間かけての徒歩帰宅を経験しました。
帰宅困難に陥った際、必要とされるものはいくつかありますが、今回の経験で本当に必要なものを気づかされました。
徒歩帰宅にもっとも重要なものは靴(スニーカー)だと感じました。革靴でも大丈夫だろうという自身の甘さを痛感させられました。

徒歩帰宅開始から数時間後には足への痛みは想像以上で、一見、普通の靴と思われかと思いますが、実際には本当に必要だと分かります。
事実、徒歩帰宅途中の靴屋ではスニーカーなどを買い求める人で混雑しており、移動手段の1つとなる自転車もすべて完売という状況でした。
結果的に、自分だけではなくいかに多くの人が必要だと認識したかを理解できると思います。

体力はある程度、休憩すれば回復させられましたが、気力を回復させるのは非常に困難だったと思います。
また、食事をとることで体力や気力を回復させることは可能と感じましたが、 食後に何kmも長い道のりを歩くことを考えると、お腹を満腹にしてしまうことで歩く気力を失ってしまう可能性を感じました。
徒歩帰宅時は、ほどほどの食事にとどめ気力を持続させることも重要な事だと気づかされました。

徒歩帰宅中、かなりの人の波と遭遇しました。
ほとんどの人が革靴またはヒールなどで苦労している様子が見受けられました。
また、少数ではありましましたがヘルメットを被っている方もいました。
銀座一丁目あたりでビルの硝子が割れており、落下した形跡もあったので ヘルメットがあるのとないのとでは大違いなのも痛感しました。

途中、自転車を購入することも考えたのですが 日暮里まで3店舗ほど自転車屋を発見しましたが、すべて完売してました。
また、靴屋でも人が殺到しており靴が飛ぶように売れていました。
最後に、帰宅支援キットのようなものを使っている人などを気にしていたのですが、銀色の持ち出し袋を使っていた人が極わずか。
リュックサック(ウエストポーチ系)を持っている人がそれなりに目立ちました

世田谷区在住 被災場所:横浜みなとみらい近辺 レスキューナウ最高顧問 市川啓一氏
横浜のお客様先で地震に遭遇し、数時間災害対策本部の対応をお手伝いしていました。
情報収集が一段落したことと、今晩の鉄道復旧見通しがたたないため、徒歩帰宅に決めました。
A氏と二人で今からとぼとぼと帰ります。

革靴なので、近所のスポーツショップに行ったら、ビル全てのお店が臨時休業になっていました。
パン屋さんもお店に在庫を残したまま。
別のビルの本間ゴルフが開いていたのでそちらで歩きやすそうなゴルフシューズと厚手の靴下を購入。
店長が「お見舞い」って"地震割引"してくれました。

お客様からお腹も満たしていただき、まもなく出発。
約22kmの道のりは平気だけど、スーツだからな。 A氏が心配・・。

目黒区在住 被災場所:横浜みなとみらい 40代 経営職
帰宅途中までもうひとり同僚が一緒でしたが、お互いのiPhoneが指し示す自宅の方向が違うので途中で別れました。
グループ帰宅の際、同じ方向とはいえ、早い段階で道が別れる可能性があることを学びました。

同僚と別れたあと、ポカリを1本、トリスのポケットボトルを1本購入。
途中のコンビニのトイレが激混みだったのを見て、ポカリは飲まないで口の中を湿らす程度にちょぼちょぼ使用しました。
トリスがこんなに美味いもんだとは知りませんでした。
きっと地獄でウィスキーをもらったら、これぐらいキラキラする味が楽しめるんじゃないかと思う。
これも 飲まずに、たまに口内をキラキラさせるだけにして我慢。

以下、道の観察で感じたこと。
・途中のラーメン屋やら焼肉屋やらで飲食してる人多数。たぶん食べ終わった あとは体がだるくなって辛かったと想像します。空腹のほうが道がはかどります。 ・女性のグループ多数。ひとりじゃないことはいいんですが、それでなくても狭い 街道沿いの歩道に広がって歩かれるのは迷惑。一列で並べ!
・iPhoneの地図すばらし。これがあれば知らない道も不安なく歩けます。ほぼ 最短距離でみなとみらいから帰宅できました。
・靴は重要。ゴルフ用の足を固めるソックスを購入できたからまだ楽でしたが、普通の薄いソックスのままだったら、たぶん歩ききれなかったと思います。
・これは帰宅ネタではありませんが、やっぱりパケット通信は強いですね。mixiとかTwitterで素早く知り合いの安否が確認できてすばらしかった。
Skypeを試さなかったのは失敗。

約20キロを走破して(いや走ってないけど)武蔵小山にたどり着きました。

帰宅困難の問題は、体力の問題ではなく、根性と靴・靴下の問題であると確信いたしました。
10キロ超えたら確かにきつかったけど何とかなります。

杉並区在住 被災場所:千葉県某所 40代 経営職
幸いにも千葉県内で自転車が購入できたので無事帰宅できました。
やはり想定だけでなく、実体験からは様々なキーワードが見えてきたと思います。

[移動手段]
交通網が麻痺してしまった場合、移動手段は徒歩、もしくは軽車両に大別されるでしょうか。
一部、道路が分断されたわけではなかったため、タクシーや営業車両を利用した、という声も聞かれました。
一般的に、自転車を社員数分備蓄しておくことは現実的ではありませんし、自動車利用という選択肢も不確定要素が多すぎると思われます。
可能性の高い移動手段は徒歩と想定され、その場合はやはり運動靴厚手の靴下などが重宝され、これならば社員数分を確保しておくことは可能でしょう。

[携行品]
長時間の移動を想定した場合、手で持つカバンではなく肩掛けカバンが理想的なことが見えてきます。
よほど重要なものでない限りは、オフィス発の場合には仕事用具はオフィスに置いてくるのもひとつの手でしょうか。
普段持ち歩かないものでは、到着までの水分補給軽食、夜道であれば懐中電灯防寒具などが必要になってくると想定されます。

[道標]
昨今のスマートフォンの普及でネットワークが遮断されない限りは帰路の道標はGPS機能が頼りになりそうです。
それ以外には、帰宅支援MAP書籍等も発売されていますので、合わせて備えておけば道に迷う可能性は低くなります。
右の資料は、東日本大震災で徒歩帰宅をした人に行った実態調査結果です。
アンケート結果では、『携帯可能なテレビやラジオ』といった情報収集ツールが約4割を占め最も多く、 次いで『携帯電話のバッテリーや充電池』となっています。
携帯型のテレビやラジオは、既に多くの企業で災害対策備蓄品として導入されていますが、
平常時、これらはスマートフォンで代用できることから、いざという時、各携帯電話会社の輻輳制御による使用不能状態に対しての備えという考え方も必要でしょうか。

そして重要なポイントは、第3位に『歩きやすい靴』という調査結果で、企業備蓄としては
ほとんど浸透していないであろう対策品があがっていることです。
『歩きやすい靴』は、帰宅困難者対策においてニーズが高いにもかかわらず、備蓄が進んでいない実態に目を向ける必要があるとも言えます。

ここで示される『歩きやすい靴』の定義は、サイズが自分にあっていることは当然のこととして、『普段履き』としても利用できるような長距離を歩いても足への負担が少ない靴を
指しています。
普段履けない靴、履きなれていない靴では、災害時に履くことは困難だからです。



以上のことから、災害対策の大半は地震に備えることではありますが、地震対策は水や食料を備蓄することよりも大切なことが多くあることがお分かりいただけると思います。
いつ起こるかわからない地震に備えることは、発災時を想像して備えることに加え、経験を活かした対策を積み重ねていくことが最も重要です。
この機会に再度、貴社の災害対策状況を見直してみてはいかがでしょうか。